My voice 2000

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【ミレニアムイヤー】 2000.1.11
「祐希のひとりごと」を書き始めて1年が経ちました。気ままにひとりごとingです。そして、私達が生まれ育ってきた、20世紀最後の1年もスタートしました。皆さんにとってどんなミレニアムイヤーになるのでしょうか?私は・・手段を選ばず、エエ歌を歌いたい。魂はすでに歌の神様に売りました。さてさて、スタートは1月18日のPIT INNです。今まで聴いて頂いていた私の歌と一味違った歌を聴いて頂く所存。制作予定されているCD2枚。どちらもレコーディ ングは春から夏にかけて、そして秋頃リリースの予定です。準備はすでに昨年秋からスタートしています。プライベートでの夢は自転車に乗れるようになること。私は、昨年からスキーを始めたのですが、昨シーズンの終わりに靭帯を伸ばしてしまい、今シーズンはできるかどうか危うかったのです。でも2重のサポーターで何とかセーフ。少しずつですが上達してます。そこで次の目標へ。以前私は、修善寺の日本サイクリングセンターで、自転車に乗れない人の為の合宿に参加し、一度は乗れるようになったのですが、町の中で乗ること は初心者には至難の業で、その後また、乗れなくなってしまったのです。スキーができるなら、自転車は乗れるはずだと言う 、巷のことばを信じ、再度挑戦したいと思ってます。永遠の憧 れ自転車に乗りたい!CD2枚を胸に抱え、自転車に乗りながら21世紀に突入し ます??? 今年もよろしく、お願い致します。
【ピエロ、おまえは何処へ】 2000.2.1
通常、歌の楽譜というものは、音の高低とリズムの表示、それに詩が書かれている。ところが世の中には、これじゃあ済まない楽譜がある。そのひとつが、今回のシェーンベルグ「月に憑かれたピエロ」の楽譜である。どう済まないかというと、21曲ある曲の「歌え」という指示のある10個程以外の音はすべて語れというのである。ただし、リズムは楽譜通り、音程は、その音程の高低の雰囲気は残し、ただジャストではなく。つまり、歌い手のセンス次第で如何様にも変えられるのである。その上、歌い手(=語り手)以外の演奏者は楽譜の指示どうりに演奏する。この両者が合体して一つの作品になるのである。可能性は果てしないのだが、しっかり足かせをした上での、可能性なのだ。奥が深すぎる。恐ろしいことを考えた人もいるものだが、それをうっかり引き受けてしまったおばかさんの歌手もいるのである。つまりその・・おばかさんの私は、このお陰で、この1年は他の仕事を極力減らし、ひたすら私には珍しく、準備に明け暮れる毎日だった。今年に入ってからは、皆で、仕事の合間を見つけて、こんなにリハーサルしたことがないというくらいリハーサルを重ねている。ラストスパートは、志津の書いた日本語詩と音楽をどうクロスさせるかといった作業中。そして本番まで、泣いても笑っても残すところ2週間とちょっと。ええい、好きにしてくれ!勝負は受けた!
【終わってしまえば・・・】 2000.2.22
「月に憑かれたピエロ」と歩んできた1年が終わりました。 仕事を引き受けた当初は、引き受けたことを随分後悔したりもしましたが、シェーンベルグの素晴らしい作品と志津の魅力的な日本語詩、そして共演者のみんなに支えられ、幕を下ろすことができました。本当に長い1年でした。終わってしまえば、こんなことだったのかと思えることですが、自分がステージで歌う姿を想像できたのは、本番1週間前でした。とにかく、みなさんお疲れさま。これからは、各自のフィールドでこの経験を生かして行きましょう。聴きに来て頂いたみなさんもありがとうございました。もしかしたら、私の最後のクラシックのコンサートだったかも?
【それは・・・】 2000.3.22
下関グランドホテルの創立30周年記念コンサート。空は澄み、昼の部は客席からステージ見ると、窓の外に海、行き交う船の向こう岸は門司の街。まるで映画の中に迷い込んだような会場で、コンサートは進められた。普段、背中に壁を背負い演奏をしている時とは違う何かを感 じながら、音を重ねて行く。自然の美しさに抱かれ、もうそこまで来ている春の温かさに触れながら、まるで自分が船に揺ら れ進んで行くように、時は流れて行った。そこには、いつもと違う私がいた。あの昼下がり。
【いちばんたいせつなもの】 2000.4.16
人間の努力の上に手に入れた、過去には信じることが出来なかったような文明機器に囲まれた現代。お金があれば、欲しいものは手に入る現代。でも、その物欲的幸せと引き換えに失ってしまったもの、忘れてしまったものがあるような・・・。そして、日々の複雑な人間社会に押しつぶされそうになったとき、何がいちばん大切なのでしょう。あなたにとって、何がいちばん大切ですか。私にとって、何がいちばん大切なのでしょう。人は、裸で生まれ、裸でこの世を去るのです、よね。
【SPICY☆DEBORAH】 2000.4.27
1996年から活動を開始した、SPICY☆DEBORAHというバンド名は、基本的に2000年4月16日のエアジンのLIVEで終了。そして、メンバーも演奏曲もそのままなのに、バンド名のみ変更になります。ここからも秋にリリースされる初CDアルバムに対する意気込み感じて頂けますか?6月にレコーディング、10月か11月にリリース予定。いよいよだなあ。それで、しばらくLIVEは少ないです。ごめんなさい。新しいバンド名、楽しみにしていて下さいね。
【クルト・ワイルへの道】 2000.5.7
平和の中、明日があることがあたりまえなっている私達にとって、このところの無差別殺人は「生と死」を考え直す必然性を感じさせるものであった。平和が続きすぎると、「生と死」への感覚異常が起きるのだろうか。「生き続ける権利」を第三者が奪うことは、誰にも許されていないはずなのに。昔、私がミュンヘンに住んでいた時に習っていた発声の先生は、ベルリン生まれで、第2時世界大戦の時には、アメリカに亡命していたユダヤ人のおじいちゃん。ある日、先生が自分の昔のアルバムを見せてくれた。その中に一人の若い女の子が、 微笑みながら、庭で水撒きをしている写真があった。「わあ、かわいい。誰ですかこの人。」と私、「それは僕のいとこ。」 と先生、「へー、今はどちらに。」「あっ、彼女はアウシュビッツで死んだから。」 ミュンヘンの近くに、ダッハウのユダヤ人収容所があった。住んでいた間は、前を通過することはあっても、中に入ることは無かったが、いつも気になる場所だった。そして、日本へ引き上げることが決まった時、やはり人間として見学する義務があると思い、その門をくぐった。数々の人体実験の写真、収容所の建物を見学し、最後にガス室へと向かった。戦争が終わってもう半世紀も経っているのに、そこには事実を物語る「匂い 」という現実が残されていた。私は一緒に行った連れと、ひとこともことばを交わすこと無くその場を離れた。その時、私た ちには交わすことができる「ことば」は何も無かった。2000年、私がレコーディングする2枚のCDのうち、1 枚はクルト.ワイルの作品を集めたもの。ユダヤ人のワイルは 、1900年ドイツのデッサウに生まれ、2年間のフランス亡命を経て、1950年アメリカ市民としてニューヨークで亡く なっている。
【乞食の盗賊→盗賊のボス→銀行頭取→?】 2000.5.18
ブレヒト(台本)ワイル(作曲)コンビの代表作「三文オペ ラ」(1928)の素材は、200年前にロンドンで上演されたジョン.ゲイの「乞食オペラ」(1728)である。「乞食オペラ」主人公メッキース:乞食の盗賊*作品の意図 :貧乏人もブルジョアもやってることは似たり寄ったり。「三文オペラ」主人公メッキース:盗賊のボス*作品の意図 :同じことをやっても貧乏人よりブルジョアの方が悪徳。貧乏人が金持ちのやり口を真似て犯罪を行なうと罪になるが、金持ちは合法的に犯罪を行なうから罪にならない。掠奪は有罪、収奪は無罪。銀行強盗より、銀行設立のほうがもっと○○な行為 ・・・。のちにブレヒトは「三文小説」を書いている。主人公メッキ ースは盗賊という家業が割に合わないので足を洗い、合法的なブルジョアになるべく、銀行を設立。ここまでは18世紀から20世紀初期のお話。21世紀まで秒読みの今、銀行神話も崩れてしまった昨今。この先どうなるのかな?
【中央区役所隣人】 2000.7.6
先月、結局「ひとりごと」は、自分自身に「ひとりごと」状 態で外部には発信できませんでした。ごめんなさい。 振り返ってみると、体調は不調ではありましたが、有意義な時間を過ごしていました。6・7・8月と私は、2枚のCDのためのレコーディング月間です。レーベルは違うのですが、スタジオは何故か同じ場所 。状況によっては、朝日の中、ご帰宅なんてことも、しばしば 。詳細は後日にまた。
【夏太り】 2000.7.23
「Quipu(キプ)」新しいユニット名。CDレコーデ ィングももうすぐ終了。そして、佐藤允彦さんプロデュースによるクルト・ワイルのCDレコーディングがいよいよスタート。猛暑の今年。私はなぜか夏太り!
【夏ですね】 2000.8.15
第三者との関係を分類すると、さしずめ3パターンに分けられるように思う。話し合ったことなら推し進められる普通の関係、いくら話し合っても「かみ合わない関係」。そして、さして話し合わなくても「なぜか理解できる関係」。この「なぜか理解できる関係」は、過去における経験、環境が似ている人が多いけれど、それだけでもないような気もする。一時期、前世について、世の中で話題になっていたことがあるが、この3パターンも前世に関係しているのではないかと言う人がいた。なるほど、どこかで射ち合いでもしてた人とは、気を合わせることは無理かもね。それとも、私たちはどこか他の空間から、地球に出張しているだけで、理解し合える人とは、あちらの空間では同じ部族の人なだけだったりして。だから、この世の出張を終えた人は、お戻りになる。そう思うと、何だか少しほっとする。この季節になると、あちらの世界からこちらの世界を訪問にいらっしゃる方達のために、日本では色々イヴェントが用意される。私たちには見えなくても、家族や友人を訪問してあちらの世界にお戻りになられているのかもしれない。ところで、先日、スタジオでレコーディング中、曲のイント ロで誰かが話しているような、ささやくように歌っているような音が、私のヘッドホーンから聞こえてきた。はじめは、ノイズかと思ったけれど、ミキサールームで他の人と一緒にその曲を聴いている時は、聞こえない。その時は誰かいるなあと思ったけれど、こちらの邪魔はしてこないので、そのまま作業を続けた。ただ、今不思議に思うのはなぜその時、みんなにそのことを具体的に説明しなかったのかな?そう言えば、以前、母とふたりで九州に旅行に行った時、夕方、旅館について翌朝出発するまで、母が金縛りにあったことがあった。後で思えば、その時の母の言動は不自然だったけれど、そこそこの簡単な会話はしていたので、疲れているのかと思っていたら、実は身体が重くなって、自由に話せなかったとのこと。窓からお城の見える宿泊した旅館は、中央から四方八方に客室が広がる、少々変わった建物であった。翌日、その土地を離れると、やっと自由に話せるようになった母が「あそこは女郎やさんだったのね」と一言。そして、旅館から宅急便で送った母の荷物の中から、そこそこ高価な物は何ひとつ無くな っていなかったのに、特に高価でもないただキラキラした洋服だけが無くなっていた。この話を母と先日、思い出し話をしていたら、母が「でも不思議ね、あの時どうして多少は話せるのに、自分が金縛りに今あっていることは、言わなかったのかし ら」見えるもの、理解できることがすべてではない季節で・・・
【秋】 2000.10.11
あばあばぶぶべばぼぼびびbi びぶべばべがぢゅかにへほひへはほ
【秋晴れの日に】 2000.10.22
部屋の白いレースのカーテンを久しぶりに洗濯する洗い上がった真っ白なカーテンを再び部屋に掛けた時 そのカーテンが今までグレーだったことに気づく心のカーテンもそろそろ洗濯時かな
【天邪鬼】 2000.11.17
若かった頃、若いという理由で興味をもたれることは、自分自身の内面を評価されていない気がして嫌悪感を覚た。若さが消えた時、そこに本当の自分の姿があると確信し、その時が人生の勝負と思い楽しみに待っていた。しかし世の中は甘くない。年を重ねるごとにOKラインのハードルはドンドン高くなる。つまり、条件が厳しくなる。「しまった」と気づいた時は、時既に遅し。後は現実を見つめるしかない。天邪鬼だったなあ。 ふうっとため息をつく。
【「アルト」→「ハイソプラノ」→「オペラヴォイス」→「歌優 」】 2000.11.21

LADY JANEの大木雄高さんが、私の声を称して「オペラヴォイス」と言ってから、どれくらいの月日が流れたのだろう。たまたまクラシックを歌っていた私は、クラシックの唱法でJAZZの曲を歌ったのが、珍しいものに興味をもつジャズメンとの共演のきっかけとなり、1998年には12人のピアニストと共に「JAZZ AGE 」というアルバムまでリリースしてしまった。幼少の私は、友人のような音域が出ず、いつも人様より1オクターブ下げて歌っていた。声域は「アルト」。それなのに、なぜかクラシックを始めてからは、超高音域を担当する「ハイ ソプラノ」に変身。いわゆる一般の人の音域で歌ったことが、過去において一度もない。その後「オペラヴォイス」となった私はある日、高い声でどんなに感情を込めて歌っても技巧的に聴こえてしまい、何かもうひとつ、大切な歌詞の内容が聴いている人たちに伝わっていないと感じはじめた。どうしよう。周りの人からも「普通の音域の祐希さんの歌が聴きたい」という声が多く聞かれるようになり・・・そして、決心。来年リリースされる2枚のアルバム制作にあたり、昨年から1年がかりで声の大改革が開始された。1月21日にリリースする、佐藤允彦さんプロデュースの「ONE TOUCH OF WEILL 」、そしてもう1枚、来春リリース予定のQuipu(キプ)(旧SPICY ・DEBORAH/メンバー:shezoo、青木泰成、岡部洋一)の「glace 」のために。まずは、キーをドンドン下げて行き、表現したい音楽に一番 合ったキー探しが始まった。ところがキーは決まっても、今度はその音域でなかなか上手く歌えない。その間共演者は、LIVEの度に異なるキーで演奏してくれていたわけであり、現場のスタッフは、そんな状態を黙認してくれていたのである。今思えば、本当にとんでもない話。それなのに誰も文句も言わず協力してくれた。私はといえば、何となくもうひとりの自分が見えているような気がしていた、何となく。そして、ついにみんなの協力のお陰で「成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり」夢であったもうひとりの私の誕生となった。副産物として広がった音域は4オクターブ弱。けっして昔のように歌えなくなったわけではない。しかし、自分の中でのひとつの時代が終わったのだろう。現在の歌い方が日常となった今、懐かしい思いこそあるものの、もう戻ることはないと思う。昔の私を知る人に、そしてこれからはじめて私の歌を聴く人に、悔いの残らないことばで歌って行きたい。先日、佐藤允彦さんに「声域を限定しないでいろいろなレンジで歌い分けられるようになったのだから、”歌優”を目指したら。」と言われた。なるほど”歌優”ねえ。いつか本物の” 歌優”になれるよう、今また新たな一歩を踏み出さなくては。

(この原稿は、LADY JANEホームページに掲載されています。 )

【未来のわたし】 2000.11.28
先週末、2日間に渡り行われた日本トュバホーメイ協会主催のコンサート、セミナー、ワークショップに(すでに他のスケ ジュールも入っていたので、全スケジュール参加出来なかった)参加した。「本物のホーメイを聴いてみたかった」というのが参加した理由。内容に関してはここでチョイチョイと書けるようなことではないので、収録に来ていたNHKがいつか放送する時に興味がおありの方はご覧下さい。一応、ホーメイにスポットをあてた催し物であったのだが、私が一番おもしろかったのは、東京大学大学院医学系研究科新美成二教授の異なった歌唱法による声帯の映像だった。歌唱法により当然動き方が違うわけで、この歌唱法ではこのような状態で声帯は動くと言われても映像を見て真似できるわけでは無し。自分の楽器なのに自分の声帯を生で見ることは一生できないわけでミステリアスゾーンですね。しかし声帯が動く様子を見ていて、何かとてもいとおしいと思わせるほどのかわいらしさがあると思うのは私だけ?ホーメイ協会会長の巻上公一さんが終わりのことばの中で参加者に「ホーメイをたやすく演奏できるとは思わないで下さい 」と言っていたことがよーく理解できた2日間だった。帰り道、電車の中でふと考える。乗り合わせたたくさんの人たちを見ながら思う。みんな各々の人生の中でそれぞれの価値観を持ち生きているんだなあと。音楽もそうだなあ。世界中に色々な音楽があり、時代によっても異なった音楽がある。それが更に細分化し・・。そんなことを考えながら家に戻り、年配の女性JAZZシンガーのバラードを聴く。語りのような、ゆったりと時が動くその音楽を聴きながら未来のわたしを思い、そして彼女の声に包まれながら眠りについた。
【3・2・1!】 2000.12.26
いよいよですね。世界中のほとんどの人たちにとって初体験の「世紀越え」をするのも。私の周りには、この機会に脱皮を計られるご予定の方もいらっしゃるようで、みなさんは何か企んでいらっしゃいますか?さてさて私は。
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